2020/01/01(水)新年テレビ体操
へび年の、薄い布を使った体操がきれいだったので、あの演出をまた期待しているのですが、なかなかやりませんねえ。
ピアニストの男性がヴァイオリンを弾いていました。
2017/10/22(日)舞台「はみだしっ子」スタジオライフ in 東京芸術劇場 シアターウエスト
幼児役も成人女性役も全員男性というのは、一部違和感はあったものの、セリフやエピソードはほぼ原作通りなのはすごい。(違い:レディ・ローズの部屋から子どもたちを追い払うのにグレアムが壊したもの:カップ→ガラス、アンジーの右手骨折がなくなる、マックスの特徴オデコ→「ピーマン頭」、アンジーのびっこ呼ばわりがなくなる)
セットは階段と街灯1本だけで、通りになったり、部屋の中になったり、ホテルの非常階段になったり、港になったりしました。
原作花とゆめコミックスの1-2巻から「動物園のオリの中」「だから旗ふるの」「階段のむこうには…」の3本をまるまる演じたプログラムでした。これなら、四人が家出した経緯もわかるし、四人の性格の違いもわかる、なるほどと思える取り合わせでしたね。
(あとで原作コミックと照合してみたら、違うところはかなりあった。原作の喫煙シーンが全くなくなっていたのは良い。しかしそれなら、ホテルのウィスキーをアンジーが「買った」と言っているのも今の時代ではアウトなのでは?)
「動物園のオリの中」でサーニンが近所のおばさんを「ゴリラみたい」と評するのは、まるで今回の舞台化に誂らえたようなセリフ(実際に笑いを取った)。アンジーが歩行訓練中「平地なら走れる」と繰り返すのは、もしかして笑うところだったのだろうか? エイダの松本 慎也さんはさすがにうまいと感じた。
今回一番観て良かったのは、グレアムの回想と悪夢。他人を自分の思い通りにしないと気がすまない暴君の父親と、娘ではなく甥を可愛がる伯母、右目のことと伯母の自殺に追い詰められていく鬼気たる心情が、この舞台ではよりリアルでした。手首から流れる血は、布やテープでなく、階段に照明で赤い帯を描いたのは面白い演出でした。
「自分の影を飛び越そうとするグレアム」は、7歳でなく成人男性が演ると一層、常軌を逸した心情が表現されていて、雪山で麻薬摂取がなくてもいずれグレアムは一度は狂わずにはいられなかっただろうと思わせられました。
そのシーンに続く階段の上下に分かれてのエイダとアンジーの対決は、構図が原作そのもので、(アンジーはちゃんと左手でナイフをかざしている)演出でも見せ場として配しているとわかりました。その前マックスが「ボクのこと嫌いになってね」というシーンを抜いているのは、あってもよかったと私は思いますが、現行通りセリフで流してよかったのか?
原作は「つれていって」まででも14巻あるので、いずれまた続編があるならば、ぜひ見たいと思います。
2017/10/22(日)傷物語三部作 一挙放映
2017/06/18(日)テレビ朝日「土曜あるある晩餐会」
・声優は供給過多、声優だけで食べられるのは8000人中1%。都内だけでも40校もの声優学校(養成所に非ず)があり、その1校で1学年が500人(私の出た普通高校の同窓と同じ)。
・現在の声優が歌やパフォーマンスまで求められるのは歴史的理由があった(要は、売れるものは何でも使う)
・即興ガヤ、笑いの演技実演などプロとしての技を見せる
出演は野沢雅子、三ツ矢雄二、神谷明、古谷登志夫、松本梨香、森久保祥太郎、野島健児、山口立花子、三上枝織、山谷祥生(よしたか)。
先月の感想で書いた梅原裕一郎に写真集が出ていたのをこの番組で初めて知りました。
2017/04/22(土)見過ごされている佳作:TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より
タイトルの冠は、なくもがな
タイトルによれば本作は江戸川乱歩の少年探偵団をモチーフとしたらしいですが、見る限りキャラクターの一部の名前と、主人公側の勢力が探偵で「怪人二十面相を追い詰める」ところだけが共通なので、むしろ冠はつけない方がよかったのでは? 昭和の香りが残る少年の活躍物語や、OPのような爽やかな青春ものを期待すると裏切られます。謎解決の流れは力技かご都合主義、理不尽な死あり、胸糞悪い展開もあり、明智”先生”は大人としてクズだし、ダブル主人公も一筋縄ではいかない設定で、合わない人は本当に合わないでしょうね。
主人公の造形は甘い
OP詐欺ともいえる、主人公の片割れ花咲健介(CV.逢坂良太)についても好悪が分れるとは思います。ネグレクトでホームレスの少年、小林芳雄(CV.山下大輝)を強引に少年探偵団に引き込むものの、かなり早い段階(7話以降)で彼のフォローを他の団員に任せ、個人的問題を怪人二十面相に突かれて、明智の弱点となってしまう。怪人二十面相に囚われたのを明智と探偵団のバラバラな奮闘で奪還された(12話)あとも、誘拐時に心理操作されたのではとの疑いから探偵団に戻れず、明智への不信も引きずって何話分も悩み続ける。この展開も「爽やかな少年もの」とはほど遠い。ただし、よく見れば第一話から、何も考えていない単細胞で身体能力頼みではあるものの育ちの良さは伺えるし、23話から24話にかけての汚名返上的働きは真骨頂として爽快感があります。
もう一人の主人公、本作の鍵である小林は、よく考えると設定がご都合主義で、「何者も靄に遮られて触れない」割にはホール舞台のささくれで出血したり、消毒剤だけ滲みたりしています。花咲を庇って撃たれて瀕死の重症を負ったあとの処置も不満があります。少なくとも保温と、薬を見せる前にプラ包装は剥いてやって欲しい。孤児となったあと教育を受けた形跡がないのに、雑誌は読めるし会話に不自由がない程度の語彙があるのも不自然です。
二十面相は仮面マニア
視聴者の視点が一般人ではなく少年探偵団か明智の場合が多いためでもありますが、怪人二十面相は変装するより、本人そのものとしての登場が圧倒的に多いです。明智と対峙するときはともかく、攫った花咲の前でも素顔を晒しているのはどうかと…。変装の代わりに毎度変わっているのはお面の種類です。しかしながら本作の怪人の怖さは変装よりも、一般人を協力者に引き込む話術と心理操作なので、この点からも「二十面相」よりましな自称があるのではと思います。
「先生」はクズ
24話を通して見た明智小五郎は、大人としてクズとしか言いようがないです。チェーンスモーカーなのは原作の時代と、健康オタクの野呂誠(CV.木戸衣吹)が同室しない設定になっているので最早どうでもいいですが、未成年を生命の危険がある探偵家業にかかわらせておいて「自己責任」とは(右足を亡くした井上了(CV.梅原裕一郎)の保険はどうなっているのだろう…)、また少年探偵団「解散」にしても、瀕死の小林を放置しつつ一方的に宣言しただけで、連絡手段を断つなりしていないのは大人として詰めが甘すぎます。22-24話で成層圏プレーンまで明智を奪還しようとするミッション中、普通なら少年少女達は生命か、少なくとも将来は確実に絶たれていたはず。24話が終わってみれば、この話は怪人二十面相と明智との壮大な痴話喧嘩と言えなくもないので、巻き込まれた少年少女と警察がただただ悲惨です。
辛口の話ばかりになってしまったので、次記事では気に入っているところを。