家人の熱は週明けに下がりました。めでたい。
FES本の本文制作が佳境です。参考に、ギリシャ神話と日本神話の黄泉下りの話を読み返しました。
これに限らず、死者を取り戻そうとする話は必ず条件づきで、しかも条件を満たせなくて必ずうまくいかない。もしもそれらが史実であったとしたら、おそらく主人公には前もって条件が提示されてはおらず、わけのわからないうちに親しい者を永久に取り戻せなくなった宣告されているのではないかと疑います。そうでなければ、「~するな」と言われて守れた人が一人もいないはずがない。
死とはそもそもそういうもので、黄泉下りの話が人口を介して伝えられたという性格を考えれば、親しい者が存在しないという事実を受け入れがたい人がいて、その人に死というものはどうしようもないと納得させあきらめさせるための装置としての話であるからそうなっているのでしょう。
一方、単なる娯楽であり、プレイヤーの選択肢によってストーリーや結末が変わるゲームは、自らの判断や行動で現実を変えうるということを体験する疑似装置だと思っていたのですがね……。