2007/08/10(金)地球へ…第一回放映他感想
DVDやっと見れました。アニメオリジナルシーンで、フィシスを見ているジョミーから、幻影のブルーが剥がれて分離するところと、誕生日前夜、心理検査のため浴室から運び出されたジョミーに母が「せめて何か着せてやって」とパジャマの上下を差し出すシーンは良かった。
特に後者の気遣いは、制作スタッフに女性がいることが大きいと思いました。映画では原作で腰に巻いていたタオルもなしで裸で倒れていたし、起床後パジャマのズボンを脱ぎ捨てて身支度する動作も男の子らしいおおざっぱさではあったけれどあまり好感は持てなかったので。そういえば、冒頭の、ブルーの叫びにシンクロして飛び起きるところも映画では上半身裸だったのにアニメではきちんとパジャマを着ていましたね。
初回版特典のCDも良かった。「シャングリラ学園」は笑いました。ブルーの台詞はほぼ元通りなのに、状況を変えただけで完全なギャグストーリーになるなんて。「放置しておけば抹殺される」要素を除けばジョミーの反応はこっちが正常だろうなあ。
しかしこのブルー、部分的によその人が混ざってないか? 中でも「てへっ」(棒読み)はないだろう。
2007/07/29(日)アニメ「地球(テラ) へ…」感想
17回め視聴直前に、取り寄せを頼んであった新装版コミックが届きました。アニメでは、ブルーがナスカ壊滅まで生き長らえているだけでなく、キース接近で目覚めてキースと対決するシーンまでジョミーから移っていることに気づきました。今回のブルー死亡まで、指導者としての実質はジョミーには薄いようで切ない。ナスカ編で好きなシーンのいくつかも必然的に消えています。人気が高く「これほど長いシリーズになるならもっと生かしておくのだった」と原作者も語っているブルーですが、こうした延命は果たして良かったのかどうか。アニメのブルーの台詞にもあるように「終わってみないと」まだわかりませんが。
ジョミー達が地球に到着したとき、何か(ブルーの残留思念)が「地球か?」とはねるのはアニメでもやって欲しい。その前提である、ジョミーのひきこもりとフィシスがジョミーの意識の深層に降りてブルーを見つけるシーンもないので現時点で期待薄ですけれどね。
キースによるブルー攻撃は、先日のイベントレポートで想像したほど酷くはなかった。メギド第二波阻止のためのブルーの行動効率が悪いだけでなく、「礼儀だ」の一言でメギドまでわざわざ単身ブルーを迎えうちに行くキースも頭悪過ぎ。ブルー死亡はあっさり処理した感じですが、これについても、残りの放映を見るまで真の評価は控えます。
2007/07/21(土)アニメ「地球(テラ)へ……」感想
1週遅れでネットで視聴できることを昨夜知った。で、14話も見た。
これ面白い。地上波、深夜枠でなくゴールデンタイムは絵も綺麗だねしかし星ひとつ破壊できるビームを単身飛んでってバリヤ貼って止めるなんて死にかけてるのに、原作もこんなだったかな。そういえば、思念波でレーダーから隠れるバリヤ貼ってる癖してやたら勝手に突破してブルーもジョミーも飛んでく奴だった。「惑星の自転を止められるか」とかの原作もだんだん思い出してきたぞ。
またコミックス買ってきて読もうかな。
2007/07/16(月)ドラマCD「ボーダー・ライン」感想
「ボーダー・ライン」
初対面の人間に「どこかでお会いしましたか」と尋ねられて、普通以下のようには返さない。
「あなたが選んで下さい。『はじめまして』と、『またお会いしましたね』と、どっちが良いですか」とは。
オリジナリティを自己演出の第一に置いている由利潤一郎だからこその台詞だけれど、もしももう一度、同じ相手にこの台詞を言うことになると知っていたなら、彼はこの言葉を選んだだろうか。自分の存在を忘れてしまったかつての恋人に、初対面として問いかけられて、それでも微笑しながらこの台詞を言えるだろうか。
この台詞、最初のときは奇天烈にしか聞こえないのに、二度めにはこれ以上状況に沿った言葉は選べない。由利の台詞に宿る魂が、二人の運命を自らに相応しいものに押し流したようにも思える。尤も、前作「グレイ・ゾーン」では真行寺佳也に当たる、由利の恋人であった刑事は殉職している。「ボーダー・ライン」の執筆にあたり「グレイー・ゾーン」における設定すべてが制約となって苦しんだとあとがきで書いている作者は、ストーリー構想のどの段階で、由利にこの台詞を言わせることに決めたのだろう。CDで佳也を含めた刑事たちがタンクローリー事故に巻き込まれたシーンを初めて聞いた時には、てっきり主人公は、ここで死んだと思った。この事故で負った外傷により、佳也の中で由利に関する全てが葬り去られてしまったのは確かなので、ミスリーディングを誘うこの場面の演出も間違いではないのだが。
幕切れのあと、「佳也と由利の未来がここから(また)始まる」かは定かではないけれど、たとえ記憶が戻らないとしても、由利と親密にならない未来につながったとしても、佳也が生きていた方がずっと良い。ペルソナ3発売から一年、フェス発売からも三か月経つので、反転せずに書いてもネタバレにはならないでしょうから書きますが、主人公はやはり死なない方が良かったですよアトラスさん。
「ペルソナ3」順平役の声優さん主演のドラマCDで非常に評価の高い作品です。1995年リリースの三枚続きのタイトルですが全部きかないとストーリーがわからない。少し迷いましたが買って正解でした。(余談ですが、単行本の内容をドラマ化するなら最低二枚組が必要なのかもしれません。一枚ものだと、進行上重要なシーンがばっさり落とされていたり、好みのシーンが描写不足になって物足りなく思うケースが多いように思います。)この種のCDで売りの濡れ場はもちろん三枚それぞれに入っていて(ないと売り上げが落ちる巻が出るのかもしれません)、内容が全部違います。
端的に言うとこれは回復の物語です。接触恐怖のある主人公が、危機的状況の中で、同性からの性愛を受け入れて身体感覚を取り戻していく物語。よく考えてみれば、主人公は肩を叩かれるくらいの接触は拒否反応が出ないし、同僚と飲みにも行く、快楽に弱かった生みの母親の欠点は自分で調べて知ったことで、本人自身は伯父の家で、育ての両親と従兄達(兄達)に可愛がられて育っている。一方ボーイズラブの主力読者である女性には、あたりまえの第二次性徴を周囲から嫌悪されたりなどの経験から、性的存在であるセルフイメージが損なわれている場合も珍しくないので、よく考えればそう簡単な話ではないとも思いますが。CDを聴く時はあまりそこまで考えず、由利の柔らかい声をガイドに、自分の存在をまるごと受け止めてもらえる安心感を堪能すれば良い。
効果音や音楽も秀逸です。場面ごとに決まった曲が流れているようですが、台詞を邪魔せず、目立ちすぎずシーンを盛り上げる使い方がされています。囁くような台詞が多いので、BGMの音量が大きすぎないのは助かります。最後の幕切れのところでハトが数羽飛び立つような効果は、明るい未来を連想させて爽快感がありました。
2007/07/16(月)小説「烈火の契り」感想
子どもの頃一週間だけ父に連れられて滞在した神喜島に、28歳の大里斎は仕事で訪れた。会社はこの島全体を開発してまるごとリゾート地にするつもりだが、斎はそれを何とか止めたかった。案内人として現れた高良はかつて遊んだ同い年の少年だった。島と斎の父との因縁、以前は気がつかなかった高良の目の下のほくろ、少しずつ明かされる謎とともに斎は高良の熱に馴らされて行く……。
性を宗教的儀式として扱う小説は多いが、この作品は珍しく荒唐無稽に見えない。南国の自然とそこで育まれた高良の野生的なたくましさがきっちり描かれているために、その世界を土台に載るものとして、生涯独身の伝い手とその「つがい」という設定も違和感なく受け止められるのだ。
島にまつわる悲劇が第二次世界大戦末期の逸話と台風被害であるのも、ストーリーに現実味を濃くさせている。これが例えば大和朝廷や幕府のような中央政権のいずれとも接点のない、歴史というより神話であったならば、効果は半減していただろう。読み手が主人公とともに惑わされるのはただ高良にのみなのだ。
嗜虐すれすれの高良の戯れとそれに相反する感情をかきたてられながら捕らえられて行く斎の描写も見事だ。表紙とミステリー部分で読者を選ぶ作品かと誤解しましたが、実際は怖くなかった。